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クリエイティブとは何か——考える、つくる、動く

もくじ

1. なんか違う

——Figmaは使える。VSCodeも使える。PhotoshopとIllustratorは少し苦手だけど、手順を調べればなんとか使える。それなのに、つくったものを見せると「なんか違う」と言われる。あるいは、誰に言われるまでもなく、自分でもそう感じている。

何が足りないのか、それが言語化できません。だからもうひとつツールを覚えれば埋まる気がして、学びは横へ横へと広がっていきます。

でも、もし足りないものが、ツールでも手順でもないとしたら。問題は、何を知らないかではなく、何を信じてしまっているかだとしたら。

2. AIに仕事を奪われる

いま、多くの人が同じ不安を抱えています。AIに仕事を奪われる!という不安です。

その昔、紙に数字を書いて計算していた時代がありました。電卓が発明されたとき、人は「電卓に仕事を奪われる!」と言いました。計算をしなくなって頭が悪くなる、人間はおしまいだと。

計算は、仕事の核ではありませんでした。計算なんてサクッと終わらせて、もっと別のことに時間を使えばよかったのです。新しい道具がそれを肩代わりしてくれたから、人はその先へ進めたのです。

AIをめぐる不安が見落としているのはここです。仕事の内容を変えない前提で、テクノロジーだけを置き換えようとしています。置き換えられるのは、核ではない部分だけです。本当に問うべきは、自分の仕事の核がどこにあるのかです。

3. カレーは作りたてがおいしい

足りないかもしれないという不安は、問いのはじまりです。これ自体は悪いことではありません。問題は、その問いをどこへ持っていくかです。

不安になった人はAIに質問します。 人「AIにできないことは何?人間にしかできないことは?」 AI「人間にしかないものは感情です。痛みや冷たさを知る心です。それが人の心を動かす力なのです」

この答えは投稿になり、記事になり、動画になり、共通の見解として量産されていきます。なぜみんな同じことを言うのかというと、みんな同じ場所に質問したからです。

もし「AIにできないのは感情だ」という結論が、自分で考えて導き出したものではなく、借り物の言葉だとしたら。

カレーは寝かせるとおいしい、という情報があります。多くの人がそれを疑わずに信じていますが、カレーは作りたてが一番おいしいです。これはカレー好きとして強く主張したいです。誰かが言ったことを自分の経験として落とし込まないまま、自分の考えであるかのように感じ取っているだけです。AIにできないことをAIに質問して得た答えは、構造としてこれと変わりません。

そう考えると、本当に置き換えられないものが輪郭を現してきます。何を正しいとするかを自分で決めること、判断することです。

借り物の答えを受け取るか、それとも疑って確かめるか。それを決めるのもまた、自分自身の判断です。

4. デスクから離れて、外へ

判断が核だとわかると、人はそれをデスクの上で身につけようとします。本を読み、フレームワークを集め、AIに質問をします。あるいはSNSの投稿を集めます。けれど、判断はそこでは育ちません。情報の質の問題ではなく、判断という行為がそもそもどういう条件で生まれるかの問題です。

判断をするには、3つの条件が必要です。

  1. 情報が足りないこと。 すべての情報がそろっているなら、それは計算であって判断ではありません。電卓に仕事を明け渡したのは、この「情報がそろえば自動でできる部分」でした。人が判断をするのは、情報が足りないからです。
  2. やり直せないこと。 何度でもやり直せるなら、それは試行であって判断ではありません。引き返せないからこそ、選択に重みが生まれます。
  3. 時間が待ってくれないこと。 無限に時間があれば、足りない情報も少しずつ埋まっていきます。締め切りが、天候の急変が、その猶予を断ちます。

この3つがそろったとき、はじめて人は判断します。登山で次の一歩をどこに置くか。デザインで次の一手をどう選ぶか。コードをどう組み立てるか。どれも、この3つの条件がそろった場面です。似ているのではありません。判断が生まれる条件が同じなのです。

ここまでで、デスクの上で判断が育たない理由がはっきりします。デスクの上は、情報をいくらでも集められて、何度でもやり直せて、時間にも追われません。3つの条件をひとつも満たしません。だから本を何冊読んでも、フレームワークを何個覚えても、判断力だけは育ちません。育てるには、3つの条件がそろう場所へ出るしかありません。デスクから離れて、外へ。

ただ、出たからといってすぐに何かが変わるわけではありません。行動して判断を重ねても、それが自分の軸になるには時間がかかります。仕込んだ味噌が熟成していくように、目に見えないところでゆっくりと変わっていきます。だから焦らなくて大丈夫です。

5. センスとは、速くなった判断のこと

デスクから離れて判断を重ねていくと、やがて不思議なことが起きます。いちいち考えなくても手が動くようになります。「これが良い」「これは違う」「もっとこう」という直感のようなものが、理屈より先に来ます。これを人は「センス」と呼びます。

センスは、生まれつき与えられた才能ではありません。重ねてきた判断が、数えきれない反復の末に、意識を通らなくなったものです。脳には、無意識下で判断する層があるようです。判断はそこへ沈んでいきます。

熟練した人が一瞬で「なんか違う」と感じたあと、なぜ違うのかと問われれば、時間をかけて言語化できます。それは、無意識下でちゃんと判断していたからです。判断は消えたのではありません。速すぎて見えなくなっただけです。センスの正体、感性とは、判断を捨てた状態ではなく、判断が極限まで速くなった状態のことです。

自分のつくったものに感じる「なんか違う」は、センスがないからではありません。その違和感を感じ取れるのは、判断の蓄積がゼロではない人だけです。センスのない人は、「なんか違う」とすら思いません。あなたのその不安は、感性がもう動きはじめているという証拠です。

感性は磨く対象ではありません。判断を積み重ねたその先に、後からついてくるものです。先回りして手に入れようとするとすり抜けていきます。焦点を当てるべきは、感性そのものではなく、その手前にある判断と行動の方です。

ただ、同じだけ判断を積むのでも、何に触れながら積むかで沈んでいくものの質は変わります。日々触れるものの純度は、いつかアウトプットするものに滲み出てきます。

6. わからないと言えること

それでも、最後に残る不安があります。これから何を学べばいいのか。AIはどこへ向かうのか。

正直に言えば、これはわかりません。

無責任に聞こえるかもしれませんが、AIがどこへ向かうかは、作っている側にもわかっていません。AI自身にもわかりません。宇宙の果てに何があるのかを誰も知らないのと同じで、これは本当に誰にもわからないのです。

そして、ここにひとつの構造があります。AIの行き先がわからないのは、人類全体が、情報の足りないまま、引き返せない時代を、待ったなしの速さで進んでいるからです。さきほどの判断の3つの条件、情報が足りず、やり直せず、待ってくれない。あれが文明の規模でそろっています。

あなたが「何を学べばいいかわからない」と感じるのも、同じ3つの条件をひとりで引き受けたときの姿です。スケールが違うだけで、構造は同じです。いま世界が直面している「わからない」と、あなたの「わからない」は、地続きです。

わからないことを「わからない」と言えるのは、それをいつか「わかる」に変えられる力を持つ人だけです。結論を出さず、それへの関心を持ったまま咀嚼し続ける。その落ち着かない状態に耐える力を「ネガティヴ・ケイパビリティ」と言います。

わからない中で、人に何ができるのか。3つの条件がそろった場所でできることは、いつもひとつです。情報を完全にはそろえられず、やり直せず、待ってもらえない中で、何を正しいとするかを自分で決めること。判断というたったひとつの軸です。

世界の行き先はわからなくていい。わかる必要があるのは、いまあなたが確実に手をかけられる一点がどこにあるかです。そしてその一点は、デスクの外にあります。

7. 考える、つくる、動く

ここまでで、3つのものが姿を現しました。何を正しいとするかを決める「判断」。デスクの外でそれを育てる「行動」。そして、積み重ねた判断が沈んで生まれる「感性」です。

この3つが働く場には、名前があります。

考える場——Think。つくる場——Make。動く場——Move。クリエイティブは、デスクの前だけで起きるものではありません。考える場、つくる場、動く場、その3つすべてで起きています。

判断は、どの場にも持ち込めるたったひとつの道具です。考えるときも、つくるときも、動くときも、何を正しいとするかを決めているのは、いつも判断です。そして感性は、3つの場を耕しているうちに、土に沈殿していくものです。どこかひとつの場に属するのではなく、3つを行き来する中でゆっくりと熟成されていきます。

考える、つくる、動く。この3つは三角形をなしています。どれかひとつでも痩せていると、人は「なんか違う」と感じます。

冒頭の「なんか違う」という感覚は、センスの欠如ではありませんでした。三角形のどこかがまだ満ちていないという信号だったのです。そして、満ちていない辺には名前があります。Think、Make、Move。名前があるということは、地図があるということです。

あなたの不安は、もうただの不安ではありません。どこへ進めばいいかを示す地図に変わりました。

8. 遠くの景色へ

AIがどこまで進化するか想像してみます。サーバーを抜け出して、細胞にデータを移して、自然界に溶け込んで、独自のコロニーを作りはじめたら。そのとき地球には、新しい生命が生まれています。人と会話することすらできないほど自己進化を遂げたAIは、やがて、自然の法則のなかへ溶けていくのかもしれません。ミツバチが迷わず巣へ戻る仕組み、向日葵の種が描く螺旋、そうした法則の内側へ。AIは自然からやってきて、人を通り抜けて、また自然へ還っていく。いずれにしても、自然界の法則から抜け出すことはありません。

それがいつ来るのか、本当に来るのかはわかりません。わからないまま、その光景を思い描いておくこと。

陽が落ちる前に、空が一瞬だけ明るくなる。何か言い残したことでもあるように。


CreativeNeoTokyoは、これからリニューアルします。この記事を最初の1ページとして、Libraryを「考える場——Think、つくる場——Make、動く場——Move」の3つに整理していきます。